成長し福岡藩に仕えたが、二代藩主
黒田忠之の怒りに触れ7年間の浪人生活を送ることとなる。三代藩主
光之に許される。藩費による京都留学で本草学や
朱子学等を学ぶ。このころ
木下順庵、
山崎闇斎、
松永尺五らと交友を深める。帰藩後、藩内での朱子学の講義や、
朝鮮通信使への対応をまかされ、また
佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。
幼少のころから読書家で、非常に博識であった。ただし書物だけにとらわれず自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体で書かれより多くの人に判るように書かれている。