日本陸軍では
1904年(
明治37年)の
日露戦争で電信教導大隊内に臨時気球隊が編制され、
旅順攻囲戦で偵察任務を行った。1907年(明治40年)に
鉄道連隊、電信大隊、
気球隊を統括する
交通兵旅団が設置され、
近衛師団長の指揮下に置かれた。1909年(明治42年)7月30日に臨時軍用気球研究会が創設され、初代会長には
長岡外史陸軍中将が任命された。同会は大正9年5月14日まで存続し、軍用気球の運用は主に工兵が担当した。1910年(明治43年)には前述の徳川好敏陸軍工兵大尉が日本で初飛行を成功させた。軍用気球・軍用機共にそうであったように、陸軍では新兵器は主に工兵によって導入された。
第一次世界大戦では青島派遣航空隊として航空部隊が創設され、
独立第18師団隷下で実戦投入された(
青島攻略戦)。1915年(
大正4年)に初めて平時編制として飛行大隊が編成された。1919年(大正8年)に航空部門を統括する
陸軍航空部が設置され、
井上幾太郎が本部長に就任する。これは先の交通兵旅団(この時は交通兵団と改編していた)の管轄にあった鉄道・電信については工兵監の所管とし、航空のみ独立させたものだった。