東京帝大(現・
東大)、
東京商大(現・
一橋大)等有名大学の卒業生の多くが(主計科士官になれば最前線で死ぬ可能性が多少なりとも低くなるため、
兵役逃れの意味合いもあって)志願者として殺到し、戦後の政財官界で活躍する人物を多く輩出することなった(いわゆる
短現人脈)。ただし、艦船勤務であっても、
艦橋(
ブリッジ)で戦闘記録を執るため戦死率も上がった一方、艦船が
沈没する際には
軍医と共に真っ先に記録書類を抱えて逃げることが使命となっており、また、後方勤務で兵器工場などの監督になることも多かったため、総合的に判断すれば他の
兵科と比べて戦死率は極めて低かった。ちなみに、機関科士官は大東亜戦争の途中から「
将校」となったが、主計科士官は敗戦に至るまで将校とはされず「
将校相当官」であった。
経理学校は上記の所謂、海兵、海機、海経といった「士官生徒」養成校の面のほか、主計科の下士官、兵の教育を行うための「普通科練習生」「高等科練習生」を履修する術科学校の面もあり、練習生課程では会計、衣糧等を教えていた。