1889年(明治22年)5月1日、前月施行の「
市制・
町村制」に基づき、東京府は府下に
東京市を設け、旧15区の区域をもって市域となして、区部の財産管理を移掌した。東京市の市制は、同3月公布法律12号「市制中東京市京都市大阪市二特例ヲ設クルノ件」(
市制特例)によって、一般市とは一部異なる変則的な市制だった。東京府知事および府書記官が
市長を兼務しており、市役所も市職員も置かれなかった。その一方で従来の15区はそれぞれ単独で区会(議会)を持ち、東京市の下位の自治体とされた。
大正期に入ると、東京市への人口流入は更に進み、1920年(大正9年)の人口は370万人になった。また、大正年間に入る頃から、
大東京という表現が見られるようになった。多くの場合それは、従来の東京市(15区)と隣接5郡82町村(
荏原郡・
豊多摩郡・
北豊島郡・
南足立郡・
南葛飾郡の各全域)に、しばしば
北多摩郡砧村・
千歳村を加えた地域を指していた。これは現在の東京都区部(東京23区)の区域に相当する。1922年(大正11年)4月には旧
都市計画法に基づき、東京市と上記6郡84町村が「東京都市計画区域」として定められた。