父安次郎の赴任先である大阪府で出生(父の出身は
和歌山県和歌山市)。
1925年に
鉄道省に入省し、工作局車両課で蒸気機関車の設計に携わった。彼が設計に関与した蒸気機関車には、
C53形や
C54形のような失敗作もあったが、「デコイチ(またはデゴイチ)」こと
D51形など、信頼性の高い堅実な機関車を数多く送り出した。もっとも、蒸気機関車に関する限り島の設計思想は、日本の技術レベル相応に古い設計を用い、海外技術の剽窃的引用で若干のアップデートを図ったにすぎない、との見方もある(
日本の蒸気機関車史を参照のこと)。
十河と島の二人三脚によって、
東海道新幹線は実現したといわれるが、新幹線開通の前年の1963年5月十河が「新幹線予算不足の責任」を問われ「再々任されず」
総裁を辞任。慰留されるも、島も後を追って国鉄を退職した。
1964年10月1日朝、
東京駅で行われた東海道新幹線の出発式に、国鉄は島も十河も招待しなかった。島は、自宅の
テレビで「
ひかり」の発車を見たという(十河は前総裁と言うことで当日10時からの記念式典には招待されたが、島はこちらの招待も受けていない)。