令制国が行政体・地理区分の基本単位として用いられていた時代には、正式にも慣用的にも「
国」とだけ呼ばれていた。後代の
20世紀には「旧国」「
旧国名」とも呼んだ。律令のうち、令によって規定される制度を令制というので、令制の国を
令制国と呼ぶ。「令制国」という語は、20世紀末に用いられ始めた歴史学の用語であり、早いものでは1980年代半ば頃から使用例が現れる
[例えば、森公章「評制下の国造に関する一考察 -律令制成立以前の国造の存続と律令制地方支配への移行-」『日本歴史』460号、1986年。のち『古代郡司制度の研究』吉川弘文館、2000年2月。に所収]が、1984年2月に
吉川弘文館から発行された『
国史大辞典第4巻』では令制国のことは「国」の項目で説明されており、文中にも「令制国」と呼ぶといった説明はない。
令制の国が何時成立したについての定説はまだないが、『
日本書紀』には、
645年の
大化の改新の際に、東国に
国司を派遣したという記事があり、
飛鳥京跡から出土した
木簡削片に「伊勢国」「近淡□(海)」などと書かれていることが分かっているので、天武朝の初め670年代には成立していたと考えられている。令制国が確実に成立したと言えるのは、
701年(
大宝元年)に制定された
大宝律令からである。故に、令制国の成立時期は早ければ645年、遅ければ701年となる。この間の段階的な制度変化の結果であった可能性も高い。