翌年、馬を使った大規模な
紡績機を作ったがすぐに
水力によって運転する方法に変更した(1771年)。ジェニー紡績機のように小形のものではなく、人間の力では動かないので、水力利用を考えたが、個人の住宅ではできないので別に
工場[上田貞次郎は、これが工場制度の嚆矢だと述べている。]を設け、機械を据え付けて数百人の
労働者を働かせて多量の綿糸を造り出すことに成功した。大量生産が可能になり、立地に制約がなくなったうえに紡糸作業に熟練した労働者が必要としなくなったため、
失業を恐れる労働者や同業者などから妨害を受けたが、次々に工場を作り、品質の優れた
綿糸を大量に生産して富豪の1人になった。