建物は、
大隈講堂(
佐藤功一と共同設計)や建築音響学の権威として知られる
佐藤武夫が設計した。全体の平面構成は、120度の角度で接続する大きな「Y字型」を中心に、さらにその先端にやはり角度120度で同じ奥行きの「Y字型」の枝が接続するという、いわば
フラクタル構造の形をした建築であった。これは全室から景色が見られるよう意図したものであるが、その結果まるで迷路のような内部空間となってしまい、後の火災発生時にも避難を困難にした原因のひとつともなった
[最初同ホテルが高級アパートメントとして計画された影響も大きかった。急な用途変更により、設計者の佐藤武夫も困惑し納期の関係から急ごしらえを余儀なくされたことが悲劇につながった。]。
当時は東洋最大の格式を謳い文句に、旅館部とホテル部の設置、日本初のトロピカルレストランやオープンカフェ、ショッピングアーケードを構えるなど画期的なアイディアが盛り込まれ、日本における初めての都市型多機能ホテルとして、云わばモデルケース的な存在であった。また
TBSとNET(現在の
テレビ朝日)の中継点であり、国会議事堂からも至近という立地柄であることから政治家芸能人の利用の多いホテルでもあった。この点は日本を代表する時代劇スターであった
市川雷蔵も同ホテルで結婚披露宴を催した点や、政争の報道のたびに同ホテルが舞台になることが多かったことからも見ることができる。だが、同じく1960年代に開業した
ホテルニューオータニや東京
ヒルトンホテル(後の
キャピトル東急ホテル)、
ホテルオークラなどと比較すると、経営ノウハウや設備などの面で見劣りしたことや、莫大な借入金の負担から、経営面では苦戦を強いられた。