日露戦争で
ロシア帝国に勝利した
日本陸軍の研究のため、
1910年11月に交換
将校として来日。スキー教師として来日したわけではないが、日本陸軍では
八甲田山の雪中行軍で事故をおこしたばかりだったこともあり、日本陸軍はレルヒのスキー技術に注目し、その技術向上を目的として
新潟県高田(現在の
上越市)にある高田
歩兵第58
連隊の営庭や、高田の金谷山などで指導をおこなった。レルヒが伝えたスキーは杖を1本だけ使うスキー術であり、現在主流の杖を2本使うスキー術のひとつ、「アールベルグスキー術」は
1930年の
ハンネス・シュナイダーの来日まで待たなければならなかった。