兄アフリカヌスの才能に隠れがちな弟アシアティクスという印象が強いが、彼自身も有能な司令官で、
190年にアフリカヌスの腹心
ガイウス・ラエリウスと共に
執政官(コンスル)職に当選、
セレウコス朝シリアの
アンティオコス3世との戦いで活躍する。そして、兄のアフリカでの活躍で「アフリカヌス」の称号を授かったように、弟である彼もアシア(現在の
小アジア)での活躍により「アシアティクス」の称号を授かり、凱旋式の敢行の栄誉を受ける。
しかしながら、彼はスキピオ弾劾の表舞台に立たされる。
マルクス・カトー(大カトー)などの反スキピオの元老院議員により、アシアティクスは金銭の横領の咎で告発され、それが兄アフリカヌスの弾劾にまで広がる。そして
紀元前183年にアフリカヌスが没するとアシアティクスは投獄されてしまう。最後は
ティベリウス・センプロニウス・グラックス・マイヨルの働きかけもあって釈放されるが、横領したとされる金額を返納しなければならなかった。没年は詳しくは分かってはいない。