戦後しばらくの間、
グアムを基地として中国本土に対する
偵察飛行を行っていたが、1948年には
テキサス州コーパスクリスティ海軍航空基地において飛行教官となった。そこで、水陸両用戦やスタッフ管理などを担当していた。
朝鮮戦争が勃発すると、海兵隊の一員として朝鮮半島で
F9Fパンサーに搭乗し、戦闘任務に付いたが、軍種間の人材交流により、空軍の機体に搭乗する機会があった。彼は
F-86セイバー戦闘機を操縦し、3機の敵戦闘機(ミグ)を撃墜している。これらの成果により、幾つかのメダルを授与されている。
朝鮮戦争の後、パタクセント・リバー基地に帰還し、新型機のテストパイロットとなった。武器の担当であり、飛行中におけるテスト機の機銃発射実験などを担当した。1957年7月16日には、
超音速としては初めてのアメリカ大陸横断飛行に成功した。これは
F8Uクルセイダー戦闘機を用いたものであり、所要時間は3時間23分8秒。
ロサンゼルスから
ニューヨークまで飛行した。そのとき、生まれ故郷の上空を超音速で飛行し、
ソニック・ブームの大きな音により、故郷の人々を驚かせている。