しかし、インドネシアにおけるソ連の影響力拡大を恐れた
アメリカ大統領ジョン・F・ケネディは弟の
ロバート・ケネディ司法長官をオランダ、インドネシア双方に派遣して調停させた。その結果、西パプアは
1962年国連の管理下に置かれ、翌年インドネシアに引き渡された。インドネシアは
1969年、国軍の管理下で操作された
住民投票を行い、80万人のパプア人の意思を無視して西パプアを併合、西イリアン州(1973年、イリアンジャヤ州と改称)を設置した。
ビヤック語でイリアンは「東」から転じて「ニューギニア島」、ジャヤは「偉大な」を意味する。
これに対してパプア人の間ではインドネシアからの独立を求める自由パプア運動が起こったが、インドネシアは
1970年、イリアンジャヤを軍事作戦地域に指定し、国軍による弾圧を行った。その一方で120万人を超えるインドネシア人がイリアンジャヤに移住して植民している。
2000年に西パプア住民大会が新国家パプアの樹立を宣言しインドネシアをゆるがす問題に発展した。
2003年2月、住民の反対にもかかわらず、同州最西部(形からバーズ・ヘッド(鳥の頭)と呼ばれる)を西イリアンジャヤ州として分割した。その後、独立運動はさらに活発になった。
2006年には独立運動家が
オーストラリアに亡命しオーストラリア政府がビザを発行したためインドネシア・オーストラリアの関係悪化にもつながった。